加藤 賢一データセンター

人魚姫の見た宵の明星


 人魚姫はとうとう十五になった。これで姉妹のなかで一番小さかった人魚姫も五人の姉たちのように海の上の世界を目にすることができるようになったのだ。海の上の世界には月が明るく輝き、音楽や車馬のざわめきが流れ、お城や農園があり、人間の子供たちがにぎやかにとびはねているという。
 姫は少々うわずった調子で言った。
「わたし、海の上の世界と、そこに住んでいる人間が、きっと好きになれると思うわ。」


 デンマ−クの作家アンデルセン(1805−1875)が1835年に発表した最初の童話集に載せた人魚姫の悲劇は彼の童話を代表する作品であるとともにデンマ−クの象徴とも言えるほどに世界的に有名な物語である。そこに登場する人魚たちは何百年も生き永らえる寿命を持っていたが、人間のように不死の魂というものはなかった。人間になって天国で不死の魂になりたいといつしか人魚姫は考えるようになっていた。
 待ちに待ってついに十五の誕生日がやってきた。
人魚姫は水の中を上へ上へとのぼって行った。姫が頭を出した時はちょうど日が沈み、雲がバラ色に輝き、うすもも色の空には宵の明星がキラキラと美しく光っていた。海のむこうには三本マストの大きな船が浮かんでいたが、この船にやがて人魚姫と運命的な出会いを演ずることになるその国の美しい王子が乗りこんでいることを知るよしもなかった。


 ところで本文においてとりあげたいのは人魚姫が目にした金星のことである。この物語はまさに架空の話であってそこに見られる自然現象をうんぬんするのは単に野次馬にすぎないことを承知のうえであえてこれを材料に金星の動きのようすを調べてみよう、というわけである。
 まず、人魚姫が金星を見たのはいつごろだったのだろうか? 物語の内容からはいつでも良いのであるが、童話集が出版されたのが1835年であるからそれ以前であることは確かであろう。話を読んでみると時代を跡付けるような手掛りがいくつかある。王子の乗っていた船は三本マストの大型船で、船室の窓はガラスでできており、船上では誕生日の祝に花火をあげ、万国旗を飾っていた。その他の状況証拠も並べてみると人魚姫が生きていたのはどうやらアンデルセンとほぼ同時代か、すこし以前のようである。年代は特定できるのに越したことはないが、金星の運動を見るうえにはさしたる障害ともならないので、ここでは仮に
  1800年から1835年までの35年間   (1)
ほどとしておこう。

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図1 金星の公転。左側が宵の明星
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 次に季節であるが、これも話を読んでみると山の麓からは雪が消えて頂に少し残っている頃で、人魚姫はやがてそれも消えていくのを眺めることになる。木々が繁り、日差しがそうとう強くなった初夏の頃のようである。また人魚姫が見た空には月がなかったらしい。月がどの位置にあるかは天文現象から年代を決める場合には一般的にかなり強い証拠になるので、これも一応頭にいれておこう。


 金星は地球と太陽の間にある惑星で、その公転周期は 225日であった。地球の1年に比べて短く、地球に追いつき、追い越すといった動きをしている。

     表1 宵の明星になっていた時
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      年    月   最高高度
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    1804  4    31゜
    1807  5    20゜
    1812  4    31゜
    1815  5    20゜
    1820  4    31゜
    1823  5    21゜
    1828  4    32゜
    1831  5    21゜
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太陽の向う側から地球に追いつくように動いている時は夕方の西空に見えるので宵の明星とよばれている。人魚姫が見たのはこれであった。金星と地球がこのような位置関係になるのは 584日ごとで、この値は会合周期と言われている。この数値であたってみると上記(1)の期間では23回ほど宵の明星があったことになる。初夏の頃だったという条件に適当な高さになるという条件を加えてみると候補として残るのは表1のような場合である。北緯55度の地点ということで計算してみた。 
 実に見事な規則性のあることが分る。4月に起る場合は高度が約20度、5月は約30度で夫々8年毎に起っている。会合周期の 584日を思い出してみよう。これは1.5997年、つまり 1.6年である。この5倍でちょうど8年というわけである。

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      図2 西空の金星の位置

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 代表的な例として1804年と1807年をとってその時の夕空での位置を図2に示した。4月と5月という似通った時期に高くなっても動きのパタ−ンは違う。つまりここで見つかったふたつの周期は型の異なる系列であった。
 同じような金星の動きを1800年から 100年にわたって計算したのが図3である。5つから6つほどの系列があるのが分る。このようになる原因は金星自身は 1.6年ごとに同じ状態に戻ってくるが、地球はそうではない、ということである。 1.6年が”きりのよい”数値でないからである。
 ではこのパタ−ンはずっと固定したものかというとそうではない。図4を見ていただきたい。1700年
から 100年間の動きである。図3と同じようなパタ−ンで出ているが、実はそれが微妙に変化しているのである。図3と4を重ねてみると領域がすべて埋め尽くされてしまうことからそれが分る。これは何を意味しているのだろうか? 答えは金星の軌道面の変化である。おおよそ8年の周期を保ちつつも金星と地球の位置関係は地球や火星・木星などの影響を受けて少しずつではあるが変化しているのである。

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   図3 1800年〜1900年の金星の動き
      一週間ごとの位置をプロット

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    図4 1700年〜1800年の金星の動き

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 アンデルセンの時代の人々が見た宵の明星も私達の目に映ずる宵の明星も金星という天体に変わりはないものの、それから約 150年経過した現在では見えかたも同じと言うわけにはいかないようである。
 なお我が国で見た場合とデンマ−クのように高緯度帯で見た場合にやや雰囲気が違っていることに気をつけたい。図5に昨年の状況を描いてみた。それぞれ北緯35度(大阪)と55度(デンマ−ク)である。これは一例にすぎないが、動き方や見えている時間や高さなど、どれもかなり違っている。大阪のほうがずっとよく見えるのである。

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    図5 1986年の宵の明星。左は大阪、
       右はデンマ−ク

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 では最後に人魚姫が金星を目にしたのは表1のどれであったか? 残念ながらアンデルセンの文章だけから決めることは難しい。今回は月が手がかりにならないのが痛い。宵の明星になっている期間は半年ほどあるので月が出ていない場合はいくらでもあるからである。人魚姫の物語は余計な詮索を拒否するほどに神々しいほどに光り輝く話である、ということであろう。
             (電気科学館天文室)