星学館・天文データセンター    
  解説員佐伯恒夫、戸田文夫のプラネタリウム解説用原稿(1941、1942、1946)
         
  佐伯 恒夫(佐伯恒男、渡辺恒夫、渡辺恒男)     
    「憶い出」に書いているところでは、佐伯は1941年9月26日から出勤したと言う。この解説草稿のNo.1は10月になっていて、採用から間髪を入れずに解説に当たったようである。
 筆者が1974年4月に採用された時は4月の中旬くらいに第1回目だったから、この時代の凄まじさが伝わってくる。
 名解説者としても定評のあった佐伯であったが、このようにきっちりと原稿を作っていたのには驚くばかりで、こうした努力、研鑽があったからこそ名解説者と言われることになったのだろう。
         
    1941年10月用 1941年11月用 1941年12月用
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
     
         
         
    1941年12月27日、土曜の科学講演会用 1942年1月用 1942年1月25日、日曜子供の朝の会
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
         
   
1942年2月用
1942年3月用
1942年4月用
       
 
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
    1942年4月5日、日曜子供の朝の会 1942年11月8日、日曜の会用  
   
 
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
         
         
         
  戸田 文夫     
    戸田は1946年10月に採用されたが、戦災によりプラネタリウムはまだ休館中で、翌年2月から再開された。その戦後、第1回目の解説話題がこれであった。この時期には佐伯が復員していたから、その指導よろしきを得て、佐伯に倣って原稿を作成したものであろう。戸田は1973年(昭和48年)9月、勤務中に吐血し、急逝した。
    1946年2月用